ご無沙汰いたしております。齋藤です。
2023年度夏に実施いたしました調査等について報告いたします。
以前実施した秋田県、山形県ならびに青森県津軽地方での調査を受け、主として、お盆における昆布の利用の実態を把握するため、岩手県および青森県三八上北・下北地方を対象に、各市町村の教育委員会や郷土資料館等の協力を得ながら実施いたしました。
まだまだ途中ではありますが、今回は、岩手県のおける調査結果を中心に報告いたします。
【鏡餅・正月のお供えにおける昆布の利用】
利用する・した :0市町村
利用しない・事例がない:23市町
調査中 :10市町村(陸前高田市、葛巻町、岩手町、矢巾町、住田町、岩泉町、普代村、軽米町、野田村、九戸村)
鏡餅(カガミモチ、オソナエ)に昆布を利用する事例は1件も確認することができず、市町村史等においてもそのような記載はほとんどないことがわかりました。唯一、確認できたのは、『日本の民俗 岩手』のなかにあった「陸前高田市に編入された旧矢作村大島部では正月に魚形の藁苞に入れた餅に松とこんぶを添えてお水神さまに供える」という記載のみです。このため、過去においても鏡餅に昆布を利用するといった風習はなかったものと考えられます。関連するものとして、山田町では、正月に、神棚に、松の葉や田作りなどと一緒にミツイシコンブ(黒昆布)を供える、とのことでした。
また、青森県三八上北・下北地方においても、鏡餅(カガミモチ、オソナエ)に昆布を利用する事例は1件も確認することができず、関連するものとして、旧士族が多く住んでいた内丸で昆布を三方に載せ、床の間に飾っていた事例(八戸市)と、鏡餅を包む藁苞に昆布を挟み込んでいた事例(むつ市)があるのみでした。
「太平洋沿岸地域では、鏡餅に昆布を利用する事例が少ない」ということを裏付ける結果になりましたが、三陸海岸沿岸地域や津軽海峡付近は天然昆布の生息地であり、昆布の生産地であるにもかかわらず、鏡餅に昆布を利用する事例がほとんど見られないということは、北海道と同様であり、それが何を意味しているのかについて詳しく調べる必要があると感じています。京都や大阪で生まれた昆布文化が昆布ロードを通じて経由地にもたらされ、その周辺地域で発展した、というのもひとつの有力な説なのかもしれません。
【正月飾り等における昆布の利用】
としな(年縄)や、しめ縄・しめ飾りに昆布を利用する事例が、12市町(宮古市、花巻市、北上市、遠野市、一関市、八幡平市、押収し、紫波町、金ケ崎町、山田町、洋野町、一戸町)にありました。
としな(年縄)は、しめ縄・しめ飾りと混同されていることも多いですが、わらでなった30cmくらいの太めの縄を縦に吊すもので(縦年縄ともいう)、その上部に昆布や松葉、にぼしなどが挟み込みます。例えば、紫波町では、稲藁に、上から松、昆布、にぼしの順で挿すそうです。
しめ縄・しめ飾りは玄関や神棚に張り、わらでなった縄に直接挟み込むところと、縄から伸びた藁の先に結びつけ吊すところ(洋野町)があったほか、門松と門松の間にしめ縄を張り、昆布やにぼしを挟み込むまたは吊すところ(宮古市、花巻市、北上市、一戸町)があり、遠野市では切昆布と田作りを和紙にくるんで、縄の真ん中に吊していたそうです。また、一関市では、門松の「はばき」(根元に添える割り木)のところに、紙を三角に折ってその上にたづくり、短冊に切った大根、昆布を載せて、置いたそうで(『岩手の旧正月調査報告書』p.69)、奥州市では、門松に供え物として、御神酒、オボコモチ二つ、昆布、煮干、するめ、栗、柿等を供えていたそうです。
参考:一関市の鳥居型門松とはばき
https://www.iwanichi.co.jp/2018/12/16/266849/
旧藤沢町(現一関市)では、大晦日に、神前に新箕を置き、12個の餅(閏年は13個)に12膳の箸を立て、串柿、栗、昆布、海苔、飴、その他菓子等をあげて祀る、「おみたまさま」という風習があったそうです(『岩手の旧正月調査報告書』p.107)。
また、小正月の行事に昆布を用いる事例が7市町(久慈市、二戸市、雫石町、平泉町、山田町、洋野町、一戸町)にありました。
雫石町には、かつて、「のさ打ち」という風習があり、新しい年を迎えてから初めて山仕事をする日に、年縄に12個の結び目をつけて、これに田づくり、昆布、餅等をつけたものを持って出かけ、家の裏の「あきの方角」の木の枝を折り、そこにそれをかける、というものです。二戸市の旧暦1月8日の「山入り」でも、藁で作った年縄和(大豆を模し、松葉、昆布、炭を刺し、トシナ紙をつける)を持って外に出て、家の近くの芝垣か桑の木に結いつけていたそうで(『岩手の旧正月調査報告書』p.159)、旧東和町(現花巻市)でも旧暦の1月8日に「農作(のさ)打ち」を行っていて、その際に昆布や田つくりや豆からのはしを焼いて黒くこがしたものを挟んで年縄を作っていたそうです(『岩手の旧正月調査報告書』p.45)。
また、かつて、県内の多くの地域で、「やっかがし」や「戸窓フタギ」と呼ばれる風習があり、これは、15日の夕方に、クルミの木などを削って串を作り、餅、豆腐、にぼしなどを刺したものを松の根を燃やした火にあてて黒くいぶし、家の入り口に刺したり、挟み込んだりなどして厄除けとするもので、この串に餅や豆腐などとともに昆布を用いる事例が5市町(木地師、二戸市、山田町、洋野町、一戸町)で見つかりました。
参考:やっかがし(埼玉県嵐山町)
http://www.ranhaku.com/web07/c2/1_04yakkagashi2.html
このほか、平泉町には、「15日の飾りもの」として、15日の朝、山からとってきたカツノキ(接骨木)を一尺くらいの長さに切り、紙を四手状に切り、吊したりしてハナをつくり、栗の木の枝の芯につけます。この飾りものを16日に外庭に立て、この木から軒下へしめ縄をはり、この縄に馬沓、白くおしろいを塗った瓢箪、昆布などをかけ並べるそうです。
これらは、鏡餅・お供えやしめ縄とは異なるものの、「昆布を用いた正月飾り」であるため、同様の風習が見られる青森県を含め、その広がりなどについて引き続き調査を続けていく必要がありそうです。
このように、岩手県では、鏡餅に昆布を用いる事例は見つからなかったものの、しめ縄等の正月飾りに用いる事例は数多く見つかり、特に小正月行事において昆布を用いる風習を数多く見いだすことができました。「のさ打ち」は秋田県での調査でもいくつか事例が得られており、「ミダマ飯」も山形県での調査でもいくつかの事例が得られており、また宮城県にも同様の風習があるとのことなので、それらについては何らかの関係性があることを念頭に、分布範囲などについてもう少し詳しく調べてみたいと思っています。「やっかがし」は岩手県や青森県以外では、節分の風習として、特に東日本各地にあるようですが、昆布を用いる事例は限られているようですので、そのあたりに着目しながら情報を収集していきたいと考えています。岩手県は広く、地域ごとに特色があることが分かってきましたので、それを上手くまとめることができれば、歴史的な関係性やそれぞれの起源などに辿りつくための手がかりが得られるかもしれません。そのような可能性を感じた今回の調査でした。
【お盆における昆布の利用】
利用する・した :15市町(盛岡市、宮古市、花巻市、北上市、久慈市、遠野市、一関市、釜石市、二戸市、奥州市、紫波町、平泉町、山田町、洋野町、一戸町)
利用しない・事例がない:8市町(大船渡市、八幡平市、滝沢市、雫石町、西和賀町、金ケ崎町、大槌町、田野畑町)
調査中 :10市町村(陸前高田市、葛巻町、岩手町、矢巾町、住田町、岩泉町、普代村、軽米町、野田村、九戸村)
岩手県内では、お盆に昆布を利用する事例を数多く確認することができました。
盆棚に昆布を利用する事例は8件ありましたが、秋田県や山形県のような飾りつけではなく、栗の木の枝や花などとともに盆棚の柱や仏壇に吊して飾るというものであり(宮古市、一関市、遠野市、釜石市、平泉町)、棚に供えるというところ(久慈市、一関市、一戸町)もありました。緑色のいがぐりのついた栗の木の枝を用いる理由も大変興味深いのですが、これについても理由はよくわかっていないとのことでした。また、紫波町では盆棚の柱を安定させるために柱の一番上のところを昆布で結わえるという利用でした。
お盆における昆布の利用で最も多かったのは、送り盆での利用であり、かつては、お供え物をコモで包み、昆布で結わえて川などに流していた、川などに置いてきていたところが9件(宮古市、久慈市、一関市、釜石市、二戸市、紫波町、山田町、洋野町、一戸町)あり、遠野市では昆布も他のお供え物と一緒にコモの中に入れて川などに流していたそうです。
そして、最も興味深いのが、花巻市周辺の事例で、墓石の上に長い昆布を載せ、その上から水をかけ、拝むというもので、現在は墓石が汚れるなどの理由からほとんど見られるなくなったものの、花巻市のほか、盛岡市の一部や北上市、奥州市の江刺東部などで行われていたそうです。その理由は定かではありませんが、送り盆での昆布の利用と同様に、また以下の動画にもあるように、お供えものをコモで包み、ご先祖さまの背負い縄として昆布で結わえるための一環としてそのような風習が生まれた可能性も高いのではないか、と考えています。
参考:
https://togetter.com/li/1249594
https://www.youtube.com/watch?v=r6P_GShDpWI
また、紫波町では、お墓の間に棚を作りお供え物をあげ、昆布を棚から地面に垂らしてお供えするそうです。お墓の前に棚を作るのは秋田県の藤里町でも見られました。
こうした盆棚や送り盆に昆布を利用する事例は、青森県三八上北・下北地方にも見られ、また、盆棚に昆布を利用する事例は仙台藩であった南部地域にも見られたことから、その分布範囲などを含めて、青森県や宮城県などの太平洋岸地域との関連性も検討しつつ、さらに調査を進めて行きたいと考えています。
なお、青森県についても、令和4年度および令和5年度の調査を通してだいぶ情報が集まってきましたので、後日改めて報告いたします。
以上、今回も前回に引き続き、まだまだ中途半端な状態で、画像もなく、わかりづらい報告となってしまいましたが、現時点での進捗状況を報告させていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご無沙汰いたしております。齋藤です。
このたび、academist Journalにて研究報告レポートを公開いたしました!
本プロジェクトにお寄せいただいた支援金を活用し、令和4年度に実施した山形県を対象とした調査について報告しておりますので、お時間がありましたら、ご覧いただければ幸いです。
リターンの予定日が大幅に遅れてしまい、誠に申し訳ありません。
academist Journal:
https://academist-cf.com/journal/?p=16797
ご無沙汰いたしております。齋藤です。
2022年度冬に実施いたしました調査等について報告いたします。
以前実施した福井県および京都府北部での調査にもとづき、巻いた昆布を用いる正月飾りの広がりを検証するため、京都府北部、兵庫県および鳥取県東部を対象に、各市町村の教育委員会や郷土資料館等の協力を得ながら実施いたしました。
まだまだ途中ではありますが、今回は、兵庫県のおける調査結果を中心に報告いたします。
【鏡餅・正月のお供えにおける昆布の利用】
利用する・した :24市町(明石市、西宮市、豊岡市、加古川市、赤穂市、宝塚市、高砂市、
小野市、見たし、加西市、養父市、丹波市、南あわじ市、朝来市、
淡路市、宍粟市、加東市、たつの市、猪名川町、多可町、市川町、
福崎町、神河町、上郡町)
利用しない・事例がない:11市町
調査中 :6市町(相生市、三木市、丹波篠山市、太子町、佐用町、新温泉町)
鏡餅(カガミモチ、オカガミ)に昆布を利用するところは17市町で、2つ重ねの餅の上から白い昆布(白板昆布、祝い昆布、養老昆布)を前に垂らすという飾り方が多数を占めていました(11市町)が、黒い昆布を前に垂らすところ(多可町)や餅の下に敷くところ(朝来市、たつの市)、餅の間から黒い昆布を前に垂らすところ(福崎町)もありました。
このほか、神河町は扇状の昆布を鏡餅の上に載せ、高砂市は「お包みもの」(半紙を2つ折りにして、その上に1cm幅に切った祝い昆布、榧の実、勝栗、干し柿を置き、縦に3つ折にして、上下を折り、紅白の水引を掛け、最期に煮干しを半紙と水引の間に通したもの)を鏡餅の上に載せるとのこと。また、赤穂市には伊勢エビを飾り付ける、南あわじ市には餅の上に載せた白い昆布の上にエビを載せるといった事例があり、飾るものにも多様性が見られる結果となりました。
ただ、三田市で情報提供してくださった方から、「鏡餅に、白い昆布を前に垂らすように飾るのは、ここ20数年の話であり、門松やしめ飾り、正月棚へ昆布を付けることはまれであった。最近の販売品の影響かもしれない」とのお話も伺ったことから、近年のメディアやインターネットによる画一化の影響も十分に考慮しなければならないということを痛感したほか、他市町の担当の方からは「令和の世の中にこのような調査をしても・・・」といったご指摘も受け、この時代に「伝統的なもの」を調査することの難しさを改めて感じました。
【正月飾り等における昆布の利用】
サンポウカザリ(三方飾り、三宝飾り)やホウライサン(蓬莱山、宝来さん)、ほうらい盆などと呼ばれる正月飾りがあり、14市町で事例が見つかりました。
これらは、三方に生米を盛り、その上に昆布、榧の実、勝栗、干し柿などを載せ、床の間に供えるというもので、その中央に昆布を巻いたみかんや橙を飾るところ(豊岡市、加西市、養父市、丹波市、神河町)、昆布を巻いた竹筒を飾るところ(高砂市)、昆布を巻いた木炭を飾るところ(丹波市)、巻いた昆布の上に橙を載せるところ(福崎町の大庄屋)、白い紙を筒状にしたものの上に橙を載せるところ(明石市)などがあり、兵庫県北東部を中心に巻いた昆布を正月飾りの広がりを確認することができました。
このほか、生米の下に昆布を敷くところ(明石市、西宮市)や生米の上に短く切った昆布を飾るところ(加古川市、三田市、市川町)もありました。
また、年桶(または斗桶)を床の間や神棚に供える風習が7市町(明石市、加古川市、養父市、丹波市、淡路市、宍粟市、市川町)にありました。
これは、地域によって多少異なりますが、一斗を量る桶(高さ三十センチくらい)の縁を縄でくくり、中に、若松、榊、ユズリ葉、ウラジロ、御幣、鏡餅、御神酒、蜜柑、栗、吊るし柿、昆布、キワイ豆(黒豆を砂糖で固めたもの)、升に入れた米、餅などを入れて(「祝い込む」とも言う)、大晦日に床の間や神棚の前、歳徳棚などに供えます。鏡餅・オカガミやしめ縄飾りとは異なるものの、「昆布を用いた正月飾り」であるため、同様の風習が見られる鳥取県を含め、その広がりなどについて引き続き調査を続けていく必要があると感じているほか、床の間に飾る場合、鏡餅・オカガミや三方・蓬莱飾りと共存するか否かについても検討する必要がありそうです、
このほか、
▶兵庫県尼崎市の大覚寺では、節分当日のみ、境内にて「昆布だるま」をいただけるとのこと。
大阪張り子の「金天姫だるま」に白板昆布の着物を着せ、紅白の水引の帯を締めた「起き上がりこぼし」。かつては北前船で運ばれた昆布を利用していたそうです。
▶兵庫県宍粟市の御形神社では、3月上旬に行われる開当祭にて、三殿(正殿、左殿、右殿)内部の長押に鯛とともに昆布を掛けるとのこと。
開当祭での儀式では、宮司が五穀豊穣や氏子繁栄を祈る文言を唱えながら、その長押に掛けた昆布を三玉串でたたくそうです。
▶兵庫県三田市の下相野護国院では、1月6日に、国宝堂にまつられている持国天像と多聞天像の前で、国宝祭り、通称ドブラ講が行われるとのこと。
このドブラ講では、その仏前の供え物として、3本一組で、一番上にハゼの木で作った松明、次に板昆布、干し柿、餅の順に竹串に刺したものを作り、専用の供物台に差し込み、左右2組が供えるそうです。
▶神戸市灘区摩耶山では古くから旧暦二月の初午の日に近郷の村人が飼い馬を連れて天上寺に参詣し、馬の息災と一家の無事繁栄を祈る風習があったとのこと。
このとき、厄払いをした後に、馬屋に祀る厄除息災の護符と摩耶昆布を授かるのですが、かつては北前船で運ばれた昆布が利用されていたそうです。今年は、3/25(土)に、「摩耶詣祭 摩耶山春山開き」として開催されました。
このように、兵庫県は、北回り航路の経由地としての北部・日本海沿岸地域と終点近くの南部・瀬戸内地域によって構成されているため、北部には三方・蓬莱飾りや年桶など昆布を用いた特徴的な正月飾りがあり、他方南部には北前船によって運ばれた北海道の昆布を用いた祭祀や風習がある、といった大まかな傾向が見られました。兵庫県におけるこれらの分布をより詳細に調査し、分析することによって、日本列島における昆布を用いた正月飾りの分布等を理解する何らかの手がかりが得られるのかもしれません。そのような可能性を感じた今回の調査でした。
他方、鳥取県に関しては、昆布を用いることは少ないものの、東部には三方・蓬莱飾りがある一方で、西部では歳徳棚というものがあり、その棚の上に渡した棒に昆布を吊す事例があるということなので、巻いた昆布を用いる正月飾りの広がりとは異なる観点から鳥取県西部や島根県について調べる必要があるかもしれません。
【盆飾りにおける昆布の利用】
利用する :0市町
利用しない:35市町村
調査中 :6市町(相生市、三木市、丹波篠山市、太子町、佐用町、新温泉町)
兵庫県内では、お盆の飾りに昆布を利用する事例は1件も見つかりませんでした。盆飾りにおける昆布の利用についての調査に関しては、東北や東日本を中心にどこまで広がるかを見ていく必要があるようです。今年度夏には、岩手県や青森県の太平洋岸地域において調査を行う予定です。
以上、今回も前回に引き続き、まだまだ中途半端な状態で、画像もなく、わかりづらい報告となってしまいましたが、現時点での進捗状況を報告させていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
山形県大石田町次年子地区において「おでかけ昆布」という年始の挨拶の際に行われる作法について現地調査を行いました。
11月17日に、ふるさと自然館次年子にて、次年子地区の方々に「おでかけ昆布」を再現していただきました。
昆布を折りたたみ、松葉を添えたものをお盆の上に載せ、床の間のお供えの左側に供えておきます。
年始に来客があると、年始の挨拶をした後に、主人がお盆に載せた昆布をお客の前に差し出します。
お客は手を揃えてそれを受け取り、軽く頭を下げてから主人に戻す。
主人もそれを受け取り、元の場所に戻す。
この一連の所作を「おでかけ昆布」と呼び、年始の挨拶にお客が来るたびに繰り返すのだそうです。
安政2年、この次年子地区が蝦夷地松前藩分領であった時代から行われている作法で、毎年正月に行われてきたが、現在は平林家で存続しているのみとなっています。
正月礼に来た客人に旅の安全を願い盆を頭上高く掲げ、それを受けた客人は両手のひらを重ねて上向きにして頭を下げてそれを頂く、無事を念じての作法であったのではないかと考えられているそうです。
山形県の内陸部にある大石田町にこのような風習が生まれたのには、
1855年の箱館開港にともなって、「出羽国村山郡東根」松前藩の領地となったことが関係しているのかもしれません。
今後、この地区における松前藩の統治の歴史や文化などについて調べてみたいと考えています。
このほか、正月における昆布の食以外の利用として、以下のようなお話を聞くことができました。
▶ お供え餅は、小さな持ちを3段または2段に重ね、小さくむしった昆布をみかんの下に飾り付けていた。
▶ 元旦の「若木迎え」では、山に若木をとりに行き、そのとった木のところに昆布などの入った袋を下げて戻ってきた(「ぬさかけ」と呼ばれるものか)。
▶ 後の正月(小正月)の時には、マユダマや団子木を作り、アワ棒(あわもちを棒状にしたもの)などさまざまな餅を供えた。団子木(ミズキの枝に団子を刺したもの)を大黒柱に結わえるワラに昆布を挿すこともあった。巾着餅を作り、昆布で結んだ。
本年もどうぞよろしくお願いします。
このたび、本プロジェクトを日本経済新聞で取りあげていただきました!
日本経済新聞(2023.01.03)に文化面で、本プロジェクトの取り組みやこれまでの成果の一部などを記事にしていただきましたので、お時間がありましたら、ご覧いただければ幸いです。
日本経済新聞の電子版にも掲載されています。
日経電子版
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO67219840Y2A221C2BC8000/
ご無沙汰いたしております。齋藤です。
2022年度夏に実施いたしました調査等について報告いたします。
以前実施した秋田県での調査にもとづき、正月飾りおよび盆飾りにおける昆布の利用の広がりを検証するため、山形県および青森県津軽地方を対象に、各市町村の教育委員会や郷土資料館等の協力を得ながら実施いたしました。
まだまだ途中ではありますが、今回は、山形県のおける調査結果を報告いたします。
【鏡餅・正月のお供えにおける昆布の利用】
利用する :6市町村(酒田市、真室川町、新庄市、村山市、中山町、南陽市)
利用しない:19市町村
調査中 :10市町村(遊佐町、庄内町、鶴岡市、鮭川村、最上町、西川町、河北町、山形市、飯豊町、小国町)
酒田市と真室川町は秋田県境に接していることもあり、秋田県内の鏡餅と同様に、短く切った昆布を松葉や煮干し、スルメなどともに鏡餅の前や脇に添える。
ところが、新庄市と中山町は昆布を下に敷き、村山市は餅と餅の間に挟んで前に垂らすことから、これらの地域には秋田県とは異なる流れがあるのかもしれません。
そして、最も興味深いのが、南陽市の事例で、鏡餅の上に昆布を輪にして置き、干し柿、ゆずということで、山形県にも巻き昆布を用いる鏡餅が突如として出現し、謎が深まる結果となりました。
これまでは日本海沿岸地域が中心で、北陸から山陰、九州北部へとつながる感じがしていたのですが、ここで、東北の内陸部に現れてしまったため、ふりだしに戻ってしまいました。
南陽市については、今年の冬に現地調査をする方向で調整しているところです(できれば、以下の「オミダマ」や「団子さげ」についても)。
【正月飾り等における昆布の利用】
注連縄に昆布を利用する事例は中山町のみでしたが、
玄関の柱などに飾る門松(松の枝)に昆布を巻くという事例が新庄市、上山市、米沢市、大江町にありました。
また、高畠町には年とり行事の際に昆布を神棚に供える風習があり、
南陽市と米沢市には、ご飯を直径3~4センチに丸く握った「オミダマ」を作り、床の間の歳徳神に供えるという風習があり、この「オミダマ」に干し柿、栗、かやの実、餅などともに昆布を添えるそうです。
そのほか、大石田町の次年子地区の円重寺に伝わる風習として、正月に「お出かけ昆布」というものを準備し、床の間に飾る風習があるとのこと(これについては、11月に現地調査を行う予定です)。
さらに、小正月ですが、上山市(団子さし)、中山町(団子木飾り)、南陽市(団子さげ)には、ミズキの枝(団子の木)に団子を差し、大黒柱に麻縄などで結わえつけ、その上を昆布で巻きつけ、農作物の豊作を祈る行事があるとのこと。
【盆飾りにおける昆布の利用】
利用する :10市町村(酒田市、真室川町、庄内町、村山市、天童市、白鷹町、長井市、南陽市、高畠町、米沢市)
利用しない:16市町村
調査中 :9市町村(遊佐町、鶴岡市、鮭川村、最上町、西川町、河北町、山形市、飯豊町、小国町)
秋田県に近い酒田市、真室川町、庄内町までは予想の範囲内であったものの、中央の内陸部の宮城県に近い地域にある村山市、天童市にも見られたほか、県南の内陸部の福島県に近い地域にある白鷹町、長井市、南陽市、高畠町、米沢市に集中して見られることは予想外であり、お盆の盆飾りについて宮城県や福島県についても調査対象にすることを検討する必要があるようです。
また、この盆飾りに利用する昆布は、細長いホソメコンブであることから、三陸海岸でとれる昆布の可能性があることから岩手県や青森県の太平洋岸地域との関連性も検討して行く予定です。
以上、まだまだ中途半端な状態で、画像もなく、わかりづらい報告となってしまい、誠に申し訳ありませんが、現時点での進捗状況を報告させていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
5月に入り、札幌もだいぶ暖かくなってまいりましたが、今年の冬は本当に雪が多く、市内の「雪捨て場」にはまだまだ大量の雪が残っており、雪がなくなるのはいつのことやら、といった状況です。
さて、4月末に環境が整い、みなさまからご支援いただいた研究資金を使用できるようになりました。
まずは、今夏のフィールドワークに向けた情報収集ということで、青森、岩手、山形、宮城の各市町村の教育委員会や博物館、郷土資料館等に文書をお送りし、昆布の食以外の利用に関する情報収集を始める予定です。
情報がある程度集まりましたら、改めて報告させていただきます。
また、各リターンにつきましては、
4月末より、本学より『寄附金受領証明書等の税制上の優遇措置に関する書類』を発送いたしましたので、ご査収ください。
「オンライン講座」は、4/28(木)に当該の支援者の方々にご参加いただき、無事開催することができました。お忙しい中、ご参加いただき、誠にありがとうございました。
なお、「研究報告レポートにお名前掲載」および「論文謝辞にお名前掲載」に関しましては、ある程度研究成果がまとまってからのこととなりますので、今しばらくお待ちください。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
支援募集期間終了まで残り2日。達成率は、おかげさまで75%を超え、78%! 目標金額達成まで、あと11万7千円となりました。みなさまからのご支援をお待ちしております!
さて、今回は、前回に引き続き、昆布の食以外の利用について紹介します。
食以外の昆布利用、特に、「祝い」の場での利用に着目し、2015年から、古くから昆布が流通し、消費量も多い、日本海沿岸地域を主な対象として調査を進めてきた結果、想像以上に豊かな地域多様性があることがわかってきました。
その成果を、多少強引に類型分布にまとめたのが以下の図です。
北海道と日本海沿岸地域でしか本格的な調査ができていないため、三陸型、内陸型、太平洋型、そして西海型と仮説も多く、わかっていない部分も多いですし、「巻き昆布文化圏」や「お盆昆布文化圏」の広がりについても検証する必要があり、まだまだ不完全ではありますが、今のところ、おおよそ、このような類型分布が見えてきているところです。
今後、さらに調査研究を進めていくことによって、より明確なものへと仕上げていくことができればと考えているところです。
支援募集期間終了まで残り4日。達成率はわずかに伸びて69%。目標金額達成まで、あと15万4千円です。みなさまからのご支援をお待ちしております!
さて、今回は、昆布の食以外の利用について紹介します。
「昆布ロード」によって昆布がもたらされた土地では、各地で独自の料理や食べ方が生まれ、日本全国各地に豊かな昆布文化が根付いています。
ただ、昆布の利用は食だけに限ったものではありません。
昆布は食だけではなく、神饌や供物、あるいは縁起物として食以外にも広く利用されていて、縁起物であれば、喜ぶとの語呂合わせから正月には欠かせないんのですし、その旺盛な繁殖力から、あるいは「こをうぶ」ということから子孫繁栄の願いを込めて、または昆布の古称である「ひろめ」が広めるに通じることから、結納の場にもなくてはならないものになっています。
そこで、我々が注目したのが、正月飾り、特に鏡餅で、昆布を鏡餅のどこに飾るのか、ということなのですが、
2015年ごろから、古くから昆布が流通し、消費量も多い、日本海沿岸地域を主たる対象として、調査研究を進めてきました。
その結果、各地から下図のような事例が報告され、想像以上に豊かな地域多様性があることがわかってきました。この図を見ただけでも、正月飾りと一言に言っても、さまざまなものがあるということがわかっていただけるかなと。
とはいえ、実は、これは、ごく一部に過ぎません。
例えば、富山県では、短く切った昆布を鏡餅の上に載せ、その上に串柿と橙というのが一般的とされていますが、大きな昆布を鏡餅の下に敷くというところもあれば、昆布を巻き付けた串柿を鏡餅の上に載せるというところも少なくありません。
また、秋田県でも、短く切った昆布を鏡餅に添えるというのが一般的ですが、餅の上に載せるところもあれば、松飾りやしめ飾りに用いるところもあり、その飾り方はさまざまです。
さらに、福井県では、福井市などがある敦賀より北の地域(嶺北)では、正月飾りに昆布の姿はほとんど見られません。ところが、敦賀より南の若狭湾沿岸地域になると、巻いた昆布を縦において、その上に橙を載せるという、非常に特徴的な事例が突如として出現します。
同様に、京都府でも、2段に重ねた餅の上に白板の昆布を載せ、前に垂らし、その上に串柿と橙というのが一般的ですが、京都の北部、若狭湾沿岸地域になると、橙に白板昆布を巻き付けるという事例が出てきます。
また、鏡餅について調べていく中で、蓬莱飾りとか、食い積みと呼ばれるものも出てきました。三方に米を盛って、それに昆布や橙、干し柿などを飾り付けて、床の間などに飾るというものなのですが、京都や福井の若狭湾沿岸地域のほか、九州の福岡や石川の能登、秋田の由利本荘などにもあて、松前藩の書物の中にも出てきました。
それから、正月飾りの中には、棒やひも、縄などに昆布などを吊り下げるというものがあって、これも、福岡、島根、福井と、西日本の日本海沿岸地域に見られるのですが、一方、青森、秋田、山形などの東北の日本海沿岸地域では、お盆の飾りとして、棒やひも、縄などに昆布などを吊り下げるというものがあります。
支援募集期間終了まで残り6日となりました。達成率は68%。みなさまからの支援により、着実に目標金額に近づくことができています!
民俗文化を記録、収集し、かつ次の世代にもつないでいく、そのような調査研究を、それららが失われてしまう前に実施できるよう、みなさまのお力をお貸しください!
さて、今回も、前回に引き続き、「昆布ロード」について、紹介します。
西廻り航路が拓かれたことで、昆布を運ぶ道、「昆布ロード」は、蝦夷地から日本海沿岸の各地域を経由して、下関へ、そして瀬戸内海を通って大坂へとつながりました。
こうした「昆布ロード」によって昆布がもたらされた土地では、各地で独自の料理や食べ方が生まれました。
例えば、富山では、魚の昆布〆。新鮮な海の幸を昆布で挟んで締めることで、多田刺身で食べるよりも一段と風味豊かに味わうことができます。また、富山では、おにぎりも海苔ではなく、とろろ昆布やおぼろ昆布で巻くというのが主流ですし、「昆布かまぼこ」という他では見られない郷土の味もあります。
京都では、昆布は、湯豆腐をはじめとする京料理には欠かせない存在ですし、千枚漬けや鯖寿司などを作る際にも重要な役割を担っています。
大阪は、天下の台所と言われたほど食の集約地であるとともに発信地でもあり、酒や醤油、味噌などの醸造技術や食品加工技術にも富んでいた土地だったので、大阪に運ばれた昆布は塩昆布や、醤油で煮た佃煮などに姿を変え、全国へと運ばれていきました。このため、今でも、たくさんの昆布屋さんが大阪にはあります。
北海道から遠く離れた沖縄でも、昆布はさまざまなところで活躍していて、水で戻してサラダのようにして食べたり、クーブイリチーという豚肉と昆布の炒め物もあれば、ラフテーにもその姿があります。また、お祭りの時の重箱料理にも昆布は欠かせません。
それから、太平洋側の高知でも、昆布はひそかに活躍していて、高知名物の皿鉢料理にも顔を出していますし、白板昆布を巻いた昆布寿司(田舎寿司)も有名です。
こうした全国各地の昆布の食文化をまとめたのがこの図であって、大石圭一さんによってまとめられました。
昆布の生産地である北海道では、昆布はダシをとるものであって、鍋の底に沈んでいるほかは、煮物に入っているくらいで、活躍の場は思いのほか少ないのですが、道外では、さまざまな料理に用いられ、各地の名物や郷土料理においても重要な役割を担っているわけです。
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